出産レポート


初めての出産は35歳の時でした。高齢出産のカテゴリーに分類される年齢で、妊娠中からも年齢を意識するシーンは何度かありました。幸いにも最後まで順調に進み、無事出産の時を迎えることができました。陣痛から出産までの経過をここにまとめます。

本陣痛の前兆

出産予定日超過1日目の22:00頃
10分間隔の微弱な腹痛が出現しました。定期的にお腹が痛くなることから、本陣痛かもしれないなとドキドキします。

出産予定日超過2日目
0:00頃
腹痛の間隔が長くなり、1時頃には寝落ちしてしまいます。

2分娩期I期~子宮口全開まで~ (所用時間約16時間30分)

出産予定日超過2日目
3:00頃
やや強めの腹痛(お腹を下した時のような痛み)で目が覚めました。7~10分間隔で、腰痛と下腹部痛が少しずつ強くなり眠れなくなり、そのまま夜が明けました。

7:00
トイレへ行くとおしるしがありました。まだ耐えられる痛みで10分間隔の陣痛だったので、とりあえず立ち合い出産を希望していた夫には出勤してもらうことにしました。

7:30
陣痛の痛みから本当にお腹をくだしてしまいます。

9:30
本陣痛だと確信して、優先度の高い家事である洗濯だけを済ませました。お風呂に入ると陣痛が進むと習ったので、半身浴をしてあたたまりました。

9:45
お風呂で温まりリラックスしたのが効いたのか痛みの度合いが急激に増し、再びお腹を下します

10:00
陣痛間隔が5~9分になります。5分をきったら入院なので、陣痛の合間に入院準備の最終確認をしました。そして陣痛の合間に赤富士の絵を描きました。

11:00頃
夫が午後半休して帰ってくることになり、そのことに安心したのかまた痛みが強くなりました。

12:00頃
陣痛の合間に軽めの昼ごはん(ポトフどんぶり1杯)を済ませました。

13:00頃
陣痛が4~6分間隔になったので病院に向かい診察を受けました。結果子宮口はたったの1cmしか開いておらず、一度自宅に帰されます。これだけ長い時間陣痛の波を乗り越えてたった1cmかと心が折れそうになりました。(今思えばここまでの痛みなど序の口だったのですが・・・)

15:00
家で過ごしているとリラックスできていたからか、急激に痛さが増しました。でも間隔は3-5分を行ったり来たりだったので、痛みの合間に部屋中をウロウロ歩き回り陣痛促進を試みます。夫はそんな私を動画に収め、まるで動物園の檻の中にいる動物のようだと言っていました。後から動画を見たら、本当にストレスがたまった動物のような動きをしていて、それはそれで良い記念動画になりました。

16:00
痛みがキツすぎて声が漏れ出し立てなくなります。どんな体制でもつらいのです。でも3-5分間隔は縮まらないため、まだ自宅で必死に耐えていました。

16:45
夫が痛みに悶える私を見兼ねて「病院へ行こう」と言いました。私は拒絶したのですが、その直後の陣痛2回をやり過ごし、これ以上無理だと観念して病院へ向かうことにしました。この時陣痛間隔はぴったり3分間隔になっていました。

17:30
内診の結果、子宮口は5-6cmになっておりよく耐えたと褒められ、そのまま入院することになりました。すぐに陣痛室へ移動して、ここからが本当の地獄の始まりでした。

18:30
痛みは増大するものの入院した緊張からか陣痛間隔が4分に空いてしまい、子宮口は5cmに縮小してしまいます。このままだと体力ばかりが奪われてお産が長引くだけと言われ、促進剤投与することになりました。陣痛室は付き添い不可のため助産師さんがついてくれるのかと思いきや放置プレイ。孤独な戦いが続きます。痛みの合間に飲み物や食べ物でエネルギー摂取なんてもはや不可能なレベルでした。

19:00-19:30
促進剤の効果は絶大で、あれよあれよと言う間に2分間隔&子宮口8cmになりました。この30分はこの世の地獄かと思う激痛で陣痛の波が来るたびに、ベッドの枠を千切りつぶす勢いで握り、足の指もベッドのパイプ部分を握りしめる格好でした。「静かに産む」という夢は打ち砕かれ、呼吸に集中するも、うめき声が混じり、まるで猛獣のようでした。

分娩期II期(所用時間約1時間)

19:30
分娩室へ移動します。分娩台手前で陣痛の波が来て唸りながらフリーズしてしまいました。やっとの思いで分娩台へ上がり人口破膜して破水させられ、2度ほどいきみを逃して一気に子宮口全開大になりました。
ここからいきみを開始。ゴールが近いと感じてやる気がみなぎり全力でいきみます。

20:00
夫が分娩室前の待合室に呼ばれました。待合室に漏れ出す私のいきみ声に夫は不安でしかなかったらしいです。

20:15
夫が分娩室に入室しますが、私は夫に構うどころか目を合わせる余裕もなく、両脇のバーを握りしめて必死にいきんでいました。1分おきくらいにおこる陣痛に合わせて2回深呼吸からの2回のいきみ。いきみの息継ぎは猛獣のごとく・・・前半は助産師さん、後半はドクターが登場していきむいきむ・・・
頭が見えては引っ込みを繰り返し、終わりが見えなくて気が遠くなりました。

20:25
最後はドクターが「そんなに頑張らないで大丈夫、次のいきみでお産にしよう」と言って、麻酔してからパチンと会陰切開されました。痛みは感じませんでしたが肉が切れてる感覚はしました。
そして最後の陣痛の波で渾身の力でいきみ、ドクターは吸引器具を使って上下左右に赤ちゃんをぐいぐい引っ張り、その間私はいきみ禁止。浅く短く呼吸を繰り返しました。
スポーンと産まれると思いきや、まるで内臓を引きずり出される感覚で痛く、でもいきめない辛さ。もう出てくるからと思って必死に耐えました。

20:28
娘誕生。この世に出た瞬間2-3秒目が点、そしてオギャーと力強く泣きました。私は放心状態で感動して泣くこともなく、とにかく生きて産まれてきてくれたことに「よかった・・・」とその一言が出た(気がします)

4分娩期Ⅲ期(所用時間約10分)

胎盤排出。思ったより大きく、ドクターが「今流行りのプラセンタ」と言って私を笑わそうとしてきました。私は力なく笑いかえすことしかできませんでした。赤ちゃんの臍の緒は助産師さんもびっくりの極太サイズでした。今まで赤ちゃんを守ってくれてありがとうと、臍の緒にも感謝の気持ちでいっぱいでした。

5後処置

そして最後は切開した部分の縫合をしました。縫合前に子宮内に溜まっている血液を掻き出すのですが、本当に文字通り掻き出すのです。3回掻き出されましたが、お尻にお湯をジャバー、ジャバー、ジャバーとかけられてる感じでした。こんなに出血するのかとかなり驚きました。
縫合は地味に痛く、何針か聞いたら「まぁ、普通の縫合数だよ」と・・・感覚的には20針くらいチクチクされた感があったんですが。処置終了後はそのまま2時間分娩台に寝かされ点滴をして、前半1時間は娘が隣に寝かされて初めての抱っこをしました。産まれたてほやほやのお猿さんだったけれど、とても可愛くて幸せな気持ちになりました。
ついさっきまでお腹の中にいてずっと一心同体だった娘。頑張って産まれてきてくれてありがとう。

22:30
特に異常もないとの事で、全身にうまく力が入らず産まれたての子鹿のようにプルプルしながら病室へ歩いて移動しました。今まで経験したどんなスポーツよりも身体が疲れているのに、産後ハイ状態に陥り寝付けませんでした。

妊娠中心配していた母性本能は、出産と同時に開花して娘の成長と共に母性も育っていると思います。妊娠出産は人生の中で間違いなく一番過酷な試練でしたが、乗り越えた後の多幸感はなにものにも代えがたいものでした。

コメント

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